おもいで

過去のイベント情報
Past Events

さんぱち動画集
Our Video Clips

さんぱち写真集
Photo Album

サンパチ写真集は、google photoに主要行事のアルバムをアップしています。また、facebookにも、「bskyoto38」名のグループを作っていますので38団関係者にお問い合わせください。

38団の歩み
BOY SCOUT #38 HISTORY

1959年(S34) 6月21日 京都第30団年少隊として発団 (カブ隊11名2組、ボーイ隊2班) 第2回日本ジャンボリー見学 滋賀県饗庭野(あいばの)
1960年(S35) 1月14日 京都ボーイスカウト第38団として発団 カブ隊14名3組、ボーイ隊14名2班。福井県大飯郡 和田海岸で、カブ・ボーイキャンプ
1961年(S36) カブ・ボーイ舞鶴市神崎海岸キャンプ。第5回大谷スカウト名誉奉仕訓練参加
1962年(S37) 第1回アジアジャンボリー兼第3回日本ジャンボリー参加(静岡県 御殿場)
1963年(S38) シニアスカウト隊(現ベンチャー)発隊 4周年記念誌として「激流」発行
1964年(S39) 第13回京都キャンポリー北斗地区大会
1965年(S40) 第14回京都キャンポリー参加
1966年(S41) 第4回日本ジャンボリー参加 (岡山県日本原)
1967年(S42) 8周年記念誌「激流」発行
1968年(S43) ローバスカウト隊発隊。(故)水野孝 国際キャンプスタッフ派遣
1969年(S44) 10周年記念行事 長休寺・室町小学校
1970年(S45) 第5回日本ジャンボリー参加(静岡県朝霧高原)、JA3ZAZ開局(無線局)
1971年(S46) 第13回世界ジャンボリー(静岡県朝霧高原) ローバ隊 Bees Crew参加 小川先生還暦祝い
1972年(S47) ハウス長休を寄贈いただく 大薮俊一 国際キャンプスタッフ派遣
1973年(S48) 第20回京都キャンポリー 第2回北山地区大会参加
1974年(S49) 15周年記念行事「集・動・認ーやろう、がってんだ!!」京都府百井 初団キャンプ 第6回日本ジャンボリー(北海道 千歳)。中村三之助 国際キャンプスタッフ派遣
1975年(S50) 第22回京都キャンポリー 第4回北山地区大会参加
1976年(S51) 第23回京都キャンポリー 第5回北山地区大会参加。(故)水野孝氏 永眠
1977年(S52) シニアスカウト隊 15周年記念式典 ローバースカウト隊10周年一寸法師ラリー
1978年(S53) 第7回日本ジャンボリー参加 (静岡県 御殿場)
1979年(S54) 5月5-6日 20周年記念行事「さんぱち20(はたち)の証明 築こう!われらのトーテムポール」 城陽野外活動センター 20年史発
1980年(S55) 団ルームの床改修。小川先生の古希お祝い。団育成会・会計の一本化。大谷スカウト全国大会(金沢市・富山県上新川郡極楽坂スキー場)に36名参加
1981年(S56) 第28回京都キャンポリー(滋賀県 饗庭野)参加。第一回賛助会員募集。
1982年(S57)5月9日 ハウス長休設立10周年シニアスカウト隊20周年記念オリエンテーリング。8月2-7日 第8回日本ジャンボリー参加(南蔵王)。
1983年(S58) シニアスカウト隊 20周年、横浜39団と合同でシニア隊アメリカ California Alameda 6名派遣
1984年(S59) さんぱち富士スカウト第一号誕生 25周年記念行事「Nice Scoutingーさんぱち輪いい友」京北町
1985年(S60) 大谷スカウト全国大会参加
1986年(S61) 第9回日本ジャンボリー参加 南蔵王 小川玄諦先生の75歳を「げんたいジャンボリー」として祝う
1987年(S62)4月26日 洛北道中 道しるべ 北山キャンポリー
1988年(S63) ローバースカウト隊20周年
1989年(H元年)7月23日 30周年記念式典挙行
1993年(H5年)3月11日 団創設者小川先生ご逝去
1997年(H9年)8月 38周年記念行事-広河原キャンプ場で挙行
2009年(H21年)8月8-9日 50周年記念行事-広河原キャンプ場で式典・混成班でのゲーム・キャンプファイヤー実施
2011年(H23年)2月25日 団創設者小川先生の奥様(小川福子様)ご逝去
2011年(H23年)7月3日 堀川さんぱちクリーン作戦 - 清掃奉仕作業を通して社会奉仕の精神をはぐくむ(堀川一条~二条城前)
2011年(H23年)8月 ボーイ隊 夏季キャンプ(NPO大地) カブ隊 夏季キャンプ(京都やましなの家)
2011年(H23年)9月19日 スカウトの日 京都連盟行事+団行事「2011年宇宙の旅・太陽系スペースハイキング」
2011年(H23年)11月20日 総会・さんぱち忘年会(平安ホテル)
2011年(H23年)12月18日 もちつき集会 (寺の内幼稚園)
2012年(H24年)5月3~6日 第59回京都キャンポリー 滋賀県希望ヶ丘
2012年(H24年)7月8日 堀川 さんぱちクリーン作戦 - 清掃奉仕作業を通して社会奉仕の精神をはぐくむ (堀川一条~二条城前)
2012年(H24年)8月 ボーイ隊 夏季キャンプ「ツールド・琵琶湖」滋賀県仏性野野営場場(比良駅) カブ隊 夏季キャンプ(京都広河原 菅原町)
2012年(H24年)9月17日 京都連盟スカウトの日式典「地球大好き「 I Love the Earth」 11:00~16:00 団行事「2012時空の旅 -平家の世-」
2012年(H24年)9月29日 ローバー隊「八淵の滝・クライミング・スライディング」滋賀県高島市鹿ヶ瀬 ガリバー青少年旅行村

歴代富士スカウトからのメッセージ
FUJI SCOUTS' MESSAGE

2014年3月現在 さんぱちには延べ9名の富士スカウトがいます。富士章を受章した9名のスカウトからのメッセージです。 最初の4名は、平成2年7月発刊 ボーイスカウト京都第38団 30年史からの出典です。 最新の、前川 陽司さんは2016年3月の受章で、2018年1月新成人代表として「二十歳の誓い」を発表しました!

日本全国で富士スカウトは日本連盟(日連)制定から56年間で4,300余人が取得(平成22年度末現在)京都連盟(京連)では、累計179人が富士章を受章し、その9人(5%)がサンパチということになります。 (出典:「京都連盟90年のあゆみ」)

松本 道典 (日連471号・京連17号) 1984年 S59.3.13認証

私がボーイスカウト隊に入隊して以来、数十年が過ぎ、当時のことがなつかしく思い出されます。スカウトたちも日夜、自己研鑽に勤め、活躍されていることと思います。
「進級について一言」進級に対しては、まずは"進級するぞ"という気持ちを持つこと。 出来ることから始め、あとは活動を通じて得た経験と知識を活かしていくこと。
「日々の善行」「そなえよつねに」でスカウト活動を有意義なものとすること。
これらのことがあげられると思います。まずは、気持ちからです。。がんばってください。38団のますますの発展とスカウト諸君の活躍を希望して、、、いやさか

服部 憲一 (日連563号・京連18号) 1985年 S60.3.26認証

良き先輩に恵まれ38団ではいろいろのことを教えてもらいました。スカウト活動だけでなく人生経験についてもです。学校と違うところは、自分より4つも5つも年下や 年上でも、友達に近いような関係が出来るこです。それが、38団の魅力の一つです。 私が富士章を取れたのも、リーダーとして何とかやってこれたのも こういった「友達」の励ましや協力があったからで、 一人だけでは今日までスカウト活動を続けて来れたかどうかは疑問です。この38団の雰囲気が今後もずっと続くことを祈ります。

袖岡 淳 (日連608号・京連20号) 1985年 S60.11.29認証

平成の新しき時代に38団が30周年を迎えることを本当にうれしく思います。ボーイ隊に入隊してから今日まで、数々のキャンプやハイキングを通して 私を育ててくれた38団に感謝すると共に、スカウト活動を続けて本当によかったと思っています。とくに良かったと思うことは、富士スカウトに進級したことです。 私は富士章を取得する課程で「やればできる」と言うことを学びました。 ボーイ隊に入隊した直後に進歩手帳という一冊の手帳をわたされ、初めて見たとき 「こんなことできるはずがない」と思っていました。しかし、出来ないことが手帳に書いてあるはずがないのです。やれば必ず出来るのです。 幸いにも、38団にはすばらしいリーダーが大勢おられます。困ったときはいつでも相談し、教えてもらえばいいのです。 さあ、みんな一つでも上の級をめざしてがんばってください。進級する課程で得たものは将来必ずプラスになるのです。 一人でも多くの菊、隼、富士スカウトが誕生することを願っています。 最後になりましたが、今後38団がますます発展することを心よりお祈り申し上げます。

山内 徹也 (日連805号・京連27号) 1987年 S62.9.19認証

私が富士スカウトになろうと決心したのは、進級上最上にあるという意味でした。次に計画を立てました。 例えば、野営管理章には、キャンプ中に点検 などをする科目があります。たいていは、上班や隊付きの時にやるのですが、私は第9回日本ジャンボリーの時にやりました。富士章には、レポート提出だけでなく、講習会やキャンプ、 日赤救急法その他に参加しなければ取れないものが多くあるので、富士章の項目をしっかり読みながら計画を立てて下さい。分からない点があれば、リーダ・先輩に相談するのがベストです。 次に技能章ですが、自分の興味のあるものから取っていくのが無難です。自分の好きな分野であれば、率先して調べ、向上にもつながります。 富士になるためには、本人の意思が大切です。私はリーダ・先輩・両親にたいへんお世話になりましたが、最後は自分自身のやる気が富士章に結びついたと思います。 みなさんも技術面だけでなく、精神面においても立派な富士スカウトを目指して下さい。

(以上出典: 平成2年7月発刊 ボーイスカウト京都第38団 30年史)

今井 喜明 日連1247号・京連 39号) 1991年 H3.1.17認証

末吉 敦周 (日連1349号・京連50号) 1991年 H3.11.8認証

旧富士スカウトは京都で、111人出ました。京都連盟最終富士章受章者は、日本連盟2547号(H10年)

八木 創平 (日連0088号・京連04号) 1999年 H11.7.3認証

平成9年からベンチャー富士として新たなカウントナンバーです。(移行期重複のため、旧富士の最終はH10年)

八木 克彦 (日連1034号・京連35号) 2005年 H17.7.11認証

畑 伸曉 (日連2406号・京連68号) 2011年 H23.8.31認証

畑 伸曉

富士章とは、その名の通りスカウトの身において最も名誉ある最高峰の章です。決して心半ばな気持ちで取得できるものではありません。 何故なら富士章取得までの長い道のりを自分の意志で突き進む忍耐力が必要で、それを目指す中で多くの関係者の献身的な支援が富士章取得に不可欠だからです。 つまり富士章は、団の総出があって授かることのできる大賞であるのです。自分の努力によるものだと思い込んでいると、どこかでつまづいたとき立ち上がることができません。 富士章を取得するための第一歩は……隊集会に参加することです。参加し富士章挑戦の熱意を伝えれば、京都を……いや日本を代表する本隊の優秀なリーダーが必ず富士章への道のりを後押ししてくれます! 歴史ある38団に所属する私たちはこの恵まれた環境に自分がいることを誇りに思い、これからも活気あるスカウト生活を楽しみましょう。富士章とは、その名の通りスカウトの身において最も名誉ある最高峰の章です。決して心半ばな気持ちで取得できるものではありません。 何故なら富士章取得までの長い道のりを自分の意志で突き進む忍耐力が必要で、それを目指す中で多くの関係者の献身的な支援が富士章取得に不可欠だからです。 つまり富士章は、団の総出があって授かることのできる大賞であるのです。自分の努力によるものだと思い込んでいると、どこかでつまづいたとき立ち上がることができません。 富士章を取得するための第一歩は……隊集会に参加することです。参加し富士章挑戦の熱意を伝えれば、京都を……いや日本を代表する本隊の優秀なリーダーが必ず富士章への道のりを後押ししてくれます! 歴史ある38団に所属する私たちはこの恵まれた環境に自分がいることを誇りに思い、これからも活気あるスカウト生活を楽しみましょう。

(2011/9/17 団行事の後、ご本人からこのメッセージをいただきました)

前川 陽司 (日連3348号) 2016年 H28.3.26認証

前川 陽司

二十歳の誓い

高校2年生の夏、ボーイスカウトのキャンプで生まれて初めてイタリア・フィレンツェに行きました。 海外に行くのも初めてだし、 イタリア語どころか英語も全く話せないのに、イタリア人10人と日本人の僕一人で一つのテントに2週間泊まることになったのです。

最初は不安を通り越して恐怖で、なんで応募したんやろう、と後悔していました。実際にキャンプが始まっても、言葉が通じないことから 誤解してけんかになったり、山登りをしてこっちは疲れてしんどいのに、ずっと陽気に騒いでいるイタリア人に腹が立ったりもしました。 ところが、一緒にパスタを作ったり、お好み焼きを食べたり、書道を教えたり、相手の国の文化を一緒に学ぶうちに、お互いの距離がどんどん近く なってくるのを感じました。そして、言葉が共通でなくても、一生懸命わかってもらおうと、身ぶり手ぶりと心をこめて訴えると不思議と通じるのです。

帰ってから半年ほど経ち、一緒にキャンプをした仲間が、大学で日本語の授業を取ってくれたことや、僕たちとの出会いがきっかけで 日本に興味を持ち、旅行に来てくれたことを知っとき、「人を通してその国を好きになる」国際交流の意味を実感し、すごく嬉しく思いました。

翌年の2015年、今度は世界約160ヶ国から3万5千人が集まる山口県での世界ジャンボリーに参加しました。キャンプでは様々な国から来た人たちが、 お互いの文化を教えあい、仲良く交流をしていました。「でも、なんで世界平和になるのが難しいんやろ?。」そう思った僕は、キャンプの中で 「あなたにとって平和に大切なモノってなんですか?」と様々な国の人に質問をして回りました。ほとんどの人が同じ答えでした。その答えとは 「お互いが寛容になること!」違う宗教・違う文化であっても同じ事を考えていたのです。

今、大学の部活で、英語で観光客を案内する活動をしています。一生懸命丁寧にガイドができたときは、 心が通じて京都が好きになってくれるのを感じることがあります。僕たちの行いを通して、日本人の印象が世界に発信されていくと思うと、 これからの国際社会に生きる僕たちは、寛容と共に人間性も高めていかないと行けないと感じています。

今までの経験を生かして、これからも多くの国の人と関わり、日本という国を好きになってくれる人を増やしていきたいです。 そして将来は、外国との貿易の仕事か観光業に携わりたいと思っています。この夢の実現に向けて頑張ることを、「二十歳の誓い」と させていただきます。

(2018/1/8 京都市成人式で「二十歳の誓い」を新成人代表として発表)